菅野草苑さんのブログ 2012/7/7
茨城県常陸太田市 西山荘にて
[日常] 投稿日時:2012/07/07(土) 09:57
西山荘は、徳川光圀公の隠居の地として常陸太田市に建てられたものです。
1691年から1700年に亡くなるまで過ごした隠居所は、「西山御殿」と呼ばれていたそうです。
亡くなった後も、歴代藩主によって大切に保存されましたが、創建当時は今の3倍の規模だった
そうです。(1817年、野火で焼失したため、規模を縮小し、1819年再建したのが現存の物。)
山間の地形を、上手く取り入れ、大きな木々、池や小川、滝、竹林、杉林、などを立体的に
配置してあります。新緑、紅葉の時期は、さぞや見事だろうと思います。
現在も手入れが良くなされていました。
茅葺屋根の建物で修史編纂事業に情熱を注いだとありますが、身の回りのもの
と必要な書物だけを置き、毎日集中して事に当たったのかと感心しました。
その書名が、綱條によって「大日本史」と名づけられたとのことです。
入り口近くの杉並木
苔むす母屋の前庭
竹林と山モミジの林
1691年から1700年に亡くなるまで過ごした隠居所は、「西山御殿」と呼ばれていたそうです。
亡くなった後も、歴代藩主によって大切に保存されましたが、創建当時は今の3倍の規模だった
そうです。(1817年、野火で焼失したため、規模を縮小し、1819年再建したのが現存の物。)
山間の地形を、上手く取り入れ、大きな木々、池や小川、滝、竹林、杉林、などを立体的に
配置してあります。新緑、紅葉の時期は、さぞや見事だろうと思います。
現在も手入れが良くなされていました。
茅葺屋根の建物で修史編纂事業に情熱を注いだとありますが、身の回りのもの
と必要な書物だけを置き、毎日集中して事に当たったのかと感心しました。
その書名が、綱條によって「大日本史」と名づけられたとのことです。
入り口近くの杉並木
苔むす母屋の前庭
竹林と山モミジの林
2012年7月
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